イギリス発祥のガーデンシティ(田園都市)構想と日本のニュータウンの大きな違い

昨日参加した「不動産エバリュエーション専門士1日研修」では、

日本で唯一の不動産学部がある明海大学 不動産学部長・教授の中城康彦先生の講義を受けました。

以前も、何度か先生の講義を受けたことがあるのですが、

先生は海外の不動産事情について大変精通していて、毎回、イギリスやアメリカなど海外の先進事例を、その歴史的背景や小話も含めて、スライドでじっくり解説して下さります。

海外の不動産は、その歴史的背景を含めて日本とは制度も慣習もだいぶ異なりますが、

日本の不動産やまちが抱える様々な問題や課題を解決する多くのヒントが隠されているのではないかと思っています。

さて、昨日も先生から、幾つもの海外の事例紹介がありましたが、

その中でも、イギリス ロンドン郊外のまちであるレッチワースガーデンシティについての話は、特に興味深く聞き入ってしまいました。

レッチワースのガーデンシティは、最初の田園都市として成功を収めた後、日本にもその影響が広がり、渋沢栄一らにより開発された田園調布(写真)や全国のニュータウンのまちづくりに大きな影響を与えるなど、世界的なムーブメントになったそうです。

レッチワースでは、「住宅の価値はコミュニティ」にあるとの思想の元、地域のマネジメント会社が住宅地のマネジメントを継続し、100年住宅や緑の多い良好な住環境を維持しています。

さて、日本の代表的な田園都市と言えば、関東ではなんと言っても東京都大田区の田園調布ですよね。

写真にもあるように、道路沿いには整然と配置された綺麗な並木が続き、東急東横線の駅を中心に放射線状に優良な住宅地が配置されています。

多くの人が一度は憧れた住宅地かもしれませんね。

さて、この田園調布を含めて、日本の全国各地にあるニュータウンは、都心部から少し離れた郊外に建設されることが多く、そのほとんどがベッドタウンとしての機能を果たしています。

まちの住人は、仕事のために満員電車に乗って都心部へ通っている人が沢山います。

ところで、先のリッチワースですが、まちづくりの当初から、当時、大都市ロンドンへの人口一極集中による労働者の生活環境と貧困が問題になっていたため、その改善が大きな目的になっていたそうです。

そのため日本のニュータウンとは違い、

まちの中に当初から、職場である工場や、生活に必要な商店、自給自足できるための農地、それに生活に潤いや楽しみを与える娯楽施設なども配置されていたようです。

つまり、当初から『職住近接』をコンセプトにまちづくりを進めていたわけです。

日本とは全く違いますよね。

日本では、私鉄沿線の郊外に都心部のベッドタウンとしてニュータウンが造られることが多く、

仕事が終わった後や休日に、職場のある都心部から離れた緑の多い郊外で、家族と休日をのんびり過ごす、むしろ『職住分離』が進められてきたのではないでしょうか。

もちろん日本の郊外ニュータウンにおいても、駅前には生活に必要なスーパーや商店、クリニック、サービス店舗などはあります。

しかし、そこに住む住民の生活を賄うことができるほどの工場やオフィスといった、稼げる職場はありませんでした。

そのため、まちの中で生活を完結させることができないため、旦那さんは毎日満員電車に一時間以上揺られて都心部へ働きに出掛ける、というのがこれまでのニュータウン生活の主流だったのではないでしょうか。

ただ、今回のコロナ禍において、その考え方が大きく変化する動きが出てきましたよね。

さて、私はこれまで不動産業界に身を置きながら、郊外の事業用のテナント物件や郊外のビルに力を入れて仕事をしてきました。

また、今から11年前には、横浜市都筑区の港北ニュータウンという郊外のベッドタウンに、空きビルの有効活用としてシェアオフィスをプロデュースしオープンさせました。

あの当時、郊外に立地するレンタルオフィスやシェアオフィスは日本初だったのではないでしょうか。

その時のコンデプトは、

「自宅の側で働きませんか?」

「通勤地獄から脱出!」

でした(笑)

でも、心の中は切実でしたよ。

ところで、私は元々、東京下町の小さな商店の息子として育ったため、親や近所の大人が働いている側で、遊びまわって育ってきました。

今でも、小さな時の思い出として心に残っているのでは、家の隣のお蕎麦さんの叔父さんとのキャッチボールです。

ある時、私が思いっきり投げた硬いボールが、向かいの焼き鳥屋さんの入り口扉のガラスに命中してしまいました。

でも、その事で私は親から怒られた記憶が残っていません。

今から思うと、きっと一緒にキャッチボールをしていたお蕎麦屋さんの叔父さんが私の代わりに焼き鳥屋さんの叔母さんに謝ったくれたのだと思います。

そんな当時の思い出を振り返ると、

そのような環境においては、子供が問題を起こしたり不良になったりは中々できないと思います。

やはり、人間という生き物は、老若男女が寄り添って助け合って暮らすことが大切なのではないかと思います。

子供だけじゃなくて、子育てをしている主婦だって、高齢者だって、学生だって、一人でいたり、同じ者同士としかコミュニケーションが取れないような環境では、やはり心も行動も閉鎖的になり、悪い影響が出てきてしまうのも否めません。

そのためにも、

これまでの『職住分離』から『職住近接』によって、

仕事や経済的な問題だけでなく、子育てや教育、育児や介護、治安など、現代日本の抱える多くの社会問題が解決できる糸口が見つかるのではないか、と真剣に考えています。

日本にもう一度昔からあるような『職住近接』のまちを復活させたい

という思いを秘めて仕事をしてきました。

だいぶ話が脱線してしまいましたが、

日本のニュータウンも既に完成しているものではありますが、これから『職住分離』から『職住近接』の流れを作っていくことは十分可能ではないかと思います。

既にそのような動きは、全国各地で始まっています。

時代がやっと、100年以上前に最初にレッチワースのガーデンシティ(田園都市)の構想を練った先達の思いに追いついてきたのかもしれません。